『零と百』

社会人となり、約10年。やっちゃえ的な某車メーカに勤務し早や10年近く。学生時代から付き合いのあった女性と、なんやかんやありつつ結婚。借家住まいの身からパートナーと話しに話し合い、あちこち駆けずり回った末に一戸建を購入。ローン返済に奮闘するその渦中。
そんな平凡とも非凡とも言えない人生を歩む、さして若くもなく、されど老成した身でもまた無い極々、普通とも言える壮年男子。
仕事にもプライベートにもコスパ的に省エネ前提、でも、そのどちらも本気で楽しみながら携わる事を信条に今日も、ゆっくり焦らずボチボチと、パートナーと共に歩み続けている昨今。そんな日常を送る自分です。
趣味と実益を兼ねた車やバイク、モーティブも好きな自分ですが、小説、映画といったエンタメやスポーツ。そして何より食べる事が大好きな自分です。特に、ほぼ日本食になりつつあるラーメンが好きです。どちらかというとあっさり系の物。薄口の塩ラーメンか醤油ラーメンを好んで食べています。
味噌ラーメンも好きですが、寒い時期限定かもしれません。昔は苦手だった、とんこつラーメンも今ではそれなりに好きで食べてます。若い頃は若干、苦手だった『天一』にも月一ぐらいのスパンでパートナーと行く事が日課になりつつあります。
好きな物は何もラーメンだけに限りません。うどん、蕎麦、ソーメン、きしめん、パスタ、といったヌードル系が、麺類全般が好きです。
炭水化物の最たる物と揶揄されつつも、比較的、安価で、でも腹もちも程々によいヌードル系。夏場はざるうどん、ざる蕎麦、冷やし中華といった冷やし麺も口あたりが良く冷やっこく、暑い時期は好んで食べてます。
寒い冬場にはあったかいスープのうどんや蕎麦を食べると、ほっこり体に染みわたります。結局、一年中、なんやかんやとラーメンやうどん、パスタにと、麺類を好んで食してる気がします。
前置きはこれくらいにして本題に入ります。最近、こんな話を聞きました。ある時、相方である件の彼女が、あからさまに眉間にシワを寄せながら私にこんな事を言いました。
「あれさぁ…ほら、例のあれ?通販で買ったあのラーメン。あれ、あんまり美味しくなかった!」と、食にうるさいそのパートナーは憤懣やるかたないかのように、怒り口調でそう言いました。
私はかなり強めに意識してポーカーフェイスを維持しつつ、内心こう思いました。(このパターンはあかん。下手に逆らうと火に油や。とりあえず話だけでも大人しく聞いとこ)と。「何がそんなに美味しくなかったの?」そう出来るだけ作り笑顔をキープしながら聞くと彼女は、開口一番こう言いました。
「あの、絶対に美味しいいと言いきってるあれが全然、まるでさっぱり欠片も美味しく無かった!!!。これ絶対に美味しいと言ってるくせに!あー!もう、はッら、立ッつー!公共広告機構、J〇ROに訴えたろかホンマ!誇大広告もいいとこやんか!!」
(…しんどい、ホンマにしんどい…。たかが食いもんに外れたぐらいでどんだけ怒んねん。でも、ここで逆らおうものならそれこそ、火に油よろしく、彼女の感情が更にヒートアップするのはこれまでの経験上、よくわかってる。冷静に落ち着き、きちんと、まずは話を聞こう。それが最善や。)そう心中、思いながら、人に聞こえないぐらいの微かな溜息と共に私はそう思いました。
その後も、凄まじいまでにおかんむりな物言いでまくし立てる彼女。そのラーメンの名称が、『これ』『絶対に』『うまい』『やつ』。そう銘打った名称の物だったようです。自分もその名前だけはCMで聞いて知ってはいた某有名メーカーのインスタントラーメンです。
日本のみならず、世界的にも有名な食品メーカーの品です。出す商品は常にメガヒットするのが当たり前とされる物だった事と思います。私は真面目な顔をキープしながら、彼女から詳細を聞く所によると、どうやらそのラーメンのスープがとても濃いものだったようです。
関西人は、薄口の物が好きと言いますが、必ずしもそうではなく。当然ながら人それぞれに味覚は違います。あっさりとした味付けの物が好きな方もいれば、こってり濃厚な味わいの物が好きな方もいます。関西でも関東でも、またどの地方でもそうだと思います。
濃い口醬油と鶏の濃厚エキスを使ったスープがその『これ、絶対』の売りのようです。彼女は関西人の割には薄口の味付けの物より、濃い口が好きだったはずです。その知人でさえそのスープは『濃かった』。それが彼女の琴線に触れ激怒するに至ったようです。
自分は約1分ほど考えこう言いました。「あのさ、世の中に絶対なんてものは無いと思うよ。たとえ、その商品の名称が、『これ、絶対、うまいヤツ』と謡っていても、人それぞれ味覚は違う物だし、うまいかそうでないかは、それはもう食べてみなきゃわからない。ある意味、博打みたいなものだと思うんだ。だから味が合わないのだったら、次から買わなきゃいいだけの事やないの?」と、口にした自分は精一杯、正論を言ったつもりでした。でも、それに対して彼女の弁は。
「でも、名前が『これ絶対うまいヤツ』そう言ってるやん!だったら、これ美味しいって普通、思うんやない?なんなん、それ?めっちゃ酷いやん!あたし何か間違った事、言ってる?!!」そう言い返すパートナー。その言葉は決して間違いだとは自分は思いませんでした。つまる所、ネーミングの妙。メーカーが企画の段階で、新商品の名前は今回はこれだと決を採ったのでしょう。これまでどこもしなかった、すきま的に奇抜な所を、おそらく多分、狙ったのかもしれません。
私見です。私は世の中には100パーセント、可能な事も、絶対的なまでに可能性ゼロなケースも、まずは無いと思っています。0から100。無から有。その中間の狭間を、当事者次第でその数字が変化していく。その方の努力や、また運によっても左右され、それは人それぞれ思う所によって変わってくる物だと思います。そんな、自分の中の私見という名の『意見』も彼女には納得して頂けなかったようです。「ほんでも、名前が絶体ってゆうてるやんかぁ…」。どうかすると怒り反転、泣きそうになりながら言う彼女に、自分はこう言いました。
「分かった、とりあえず今から近所のバー〇ヤンに行かない?今日はおごるからさ」と言った瞬間、彼女のマイナスフェイスは一転、笑顔に変わり、「うん!」と、そう言って頷いてくれました。そんなこんなでその夜は、とある有名中華チェーン店にて、それなりに楽しい時間を過ごす事が出来ました。
そんな、最近の我が家の1エピソードです。ですが、断わっておきますが、事の発端となった『これ絶対うまい』ラーメンのその名称がNGな物とは自分はまるで思いません。とても奇をてらった面白いものだと思います。ですが、彼女のように半ば、思い込みの強い方にはその『絶対』という強調された文言は、本当に美味しいんだ、これ?。そう思い込み、反転、自分の味覚に合わなかった場合、時に大きなトラブルの火種になるの事もあるのかもしれない。言葉は多彩で雄弁、人から人へ伝える方法、方式はほぼ無限にある。ですがその分、理解と同じくらいに誤解を生じる可能性もまたある。そんな事をつい考えてしまいました。
世に絶対という言葉は或いは本当に無いのかもしれません。ですがその日、その夜、パートナーと一緒に食べた、バー〇アンのラーメンと餃子、唐揚げはとても美味しいものでした。それはそれこそ、絶対に。ええ、今度こそは絶対に、それは最高に素敵な時間だったと思います。